『元役員が見た長銀破綻』を読んで

元役員が見た長銀破綻』を読んで


「敗因の研究」を読んでいて、
風説が大きなものとしてあると思った。

少しでも経営に不利な風説が流れると、
金融機関が、その風説を拡大する。
いわく、「あそこの銀行は危ないから、預金を他に移した方がいいですよ」となる。さらにマスゴミもそれに拍車をかけて、過剰報道を集中的にする。
これを繰り返し行われると、経営的に底を打って、ようやく昇り調子になっても、顧客・預金が流出し、一気に破綻に追いつめられることになる。
つまり、マスゴミによる風説が一つの会社を潰すことになる。



最近、業界で一致団結して、マスゴミに対抗していこうとなっているらしい。
田原総一朗が、ネットの番組で言っていたが、マスゴミが一つの会社に対して、
悪いことを書くと、業界の会社が一斉に広告やCMを取り下げるとなっているらしい。悪いことといっても、記者やジャーナリストは専門的な知識を持っていないし、原子力村みたいないろいろなしがらみに縛られているので、不正確な報道になりやすいと。
で、こんな報道をしていていたら、取り下げられるのは当然。


それと、不良債権のいわゆる「飛ばし」は、「修羅場の経営責任―今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実」で山一証券の項でも紹介されているように、当時の大蔵省の示唆があったようだった。
問題の先送りも隠蔽も、もしかしたらそこから、派生したことでもあるのかもしれない。


以下、気になったところをメモ

P107
人事はトップの意志を伝える最もはっきりしたメッセージである。どんなに優れた人材であっても、多大な功績を持つ人材であっても、組織の論理を優先して切るべきは切らなければならない。それができないのは、トップ自身の刀が錆びているからに他ならない。

p115
この点では、行政もマスコミも経営に失敗した者を必要以上に攻撃しすぎのように思える。まして、経営破綻となるとすぐ刑事事件化し、マスコミもよってたかって極悪人扱いする傾向も疑問である。
これでは、けじめを付けようとしている経営者も、失敗を認めることを躊躇したり、場合によっては隠蔽工作に走ってしまう危険が高い。



p119
「派閥があったほうが政権交代によって人事一新ができるのでむしろよかったのかもしれない」

p122
本来組織と権限が明確で、しかも適材が配されていれば、基本的に会議は不要である。

p122
むやみに多い会議は責任の所在を不明確にするということである。

p123
全員で責任を取るというやり方は一見公平に見えるが、問題の本質を隠すことになり、結局誰も責任を取らないことになりかねないのである。

p138
時代が変わってもそのまま若い世代に任せておけばよかったのに、変にリーダーシップを発揮しようとしたために結局新しい流れに水をさしてきたような気がする。

p148
要するに長銀は、店頭や事務部門の小さな、あるいは形式的な失敗には厳しいが、融資の大きな失敗に関しては極めて寛容な銀行であったことは確かであろう。

p149
(ディバティブ、リスク管理などについて)これらは80年代に採用した若手が中心になり、米国の研究などを通じて気づきあげてきた成果である。しかし部分の経営者には、彼らの主張するマーケットのリスクや、それが経営全体に重要なインパクトをもたらすか理解できなかった。勉強すらしなかった。当時、彼ら若手は他行や証券会社、生保などから勉強会の講師として引っ張りだこであったが、長銀の経営者からはほとんど声がかからなかった。そして97年頃から、長銀を見限って次々と外銀などへ飛び出していった。

p150
いずれにせよ、どんな優秀な人材でも歳をとれば保守的になり、自己保身的になる。不良資産の処理が常に先送りになったのも、経営者の頭のどこかで「退職慰労金をもらうまであと何年」という意識があったからではないと思いたくなる。

p、257
したがって、企業が活力を維持していくためには、どうしても役員定年制になり、相談役・顧問の廃止なり、自己規制の仕組みが必要であると確信する。逆を言えば、いまだに相談役を残していたり、仕事オンリーのトップを抱く企業は黄色信号と思ってよい。

p、265
バブル及びその処理の失敗の相当部分は、行政の誤りによるというのはもはや”定説で”ある。それは役人の誰がという個人的な話ではなく、まさに大蔵省という組織体の問題である。一言で言えば、大蔵省が組織防衛の観点でのみ動いた(つまり動かなかった)ことが最大の原因である。

p、269
前述の雑誌の座談会で、大手銀行の若手行員から共通して出た意見が「能力の逆格差」の問題であった。つまり、銀行業務全体が高度化、専門家していく中で、上司が部下の知識や感覚についていけえなくなっているというのである。また、それが若手行員が銀行に見切りをつけて退職した大きな理由の一つだというのである。

p291
要は、欧米の企業の厳しい風土の中で築かれたシステムの外見だけ導入したものの、中身は典型的な日本的なやり方というギャップが、かえって隠蔽的体質にとらわれ、マーケットで叩かれることになったように思う。

p、292
繰り返しになるが、執行役員制度を導入した企業で、トップに対する明確なチェックシステムが組み込まれていないところは赤信号である。